日本中に野球を通して夢と勇気を与え続けた長嶋茂雄さん。
その言葉には、プレー以上に人々の心を揺さぶる力がありました。
「我が巨人軍は永遠に不滅です。」
この言葉は長嶋茂雄さんが1974年10月14日の後楽園球場での引退セレモニーのスピーチで語った名言です。
この言葉以外にもたくさんの名言を遺された長嶋茂雄さん。
ここでは、その中から特に有名で、書籍やメディア、インタビューなどで紹介されてきた名言を、背景とともにご紹介します。
長嶋茂雄 名言集+エピソード解説
1. 「記録より、記憶に残る選手になりたい」
デビュー当時から大事にしていたという言葉。
華やかな成績を残しながらも、“魅せる”ことを大切にした長嶋さんらしい一言です。
プレー中の所作や表情、スタンドのファンへの配慮まで、すべてにエンターテインメント精神がにじんでいました。
1970年代、雑誌インタビューや講演会などで繰り返し語られていた名言。
また、2000年の松井秀喜氏との対談(『週刊ベースボール』誌など)でもこの言葉が紹介されています。
2. 「野球は美しくなければいけない」
勝つことだけでなく、野球そのものの美しさを追求し続けた長嶋さん。
打撃フォームや守備、走塁に至るまで、常に“見ている人に感動を与えるプレー”を理想としていました。
1993年の巨人監督復帰時、報道陣に語った一言(『報知新聞』記事より)。
「勝てばいいではなく、見ている人を魅了する野球でなければならない」と語り、采配でも美学を重視していた。
3. 「打てない時は打てないなりに、美しく三振しなさい」
失敗をしても姿勢を崩さず、最後まで堂々と戦い抜くことの大切さを教える名言。
プロフェッショナルとしての強い信念や誇りを感じさせます。
1990年代初頭、清原和博選手や松井秀喜選手ら若手に指導する際に繰り返した言葉。
『週刊ベースボール』『ナンバー』誌などの選手インタビューでも証言あり。
4. 「努力してますなんて言う奴は、まだ努力が足りないんだよ」
陰の努力を当たり前とし、結果にすべてを込める。
そのストイックな姿勢が後進の指導にも反映されていました。
巨人軍監督1期目(1975〜1980年)時代、練習嫌いな選手にかけたとされる言葉。
原辰徳氏、江川卓氏ら複数の証言で知られ、『プロ野球 知られざる名言集』(ベースボールマガジン社)
5. 「自分の背番号は、ユニフォームの“顔”だよ」
背番号「3」を誇りとしていた長嶋さん。
のちに松井氏に与えた「55」にも、強い意味と思いが込められていました。
1992年、松井秀喜さんの巨人入団会見時にかけた言葉とされる。
松井選手の著書『不動心』でも、このエピソードが紹介されています。
6. 「“なんとかなる”と思えば、なんとかなる」
困難な状況でもポジティブでいることの大切さを、身をもって示してくれた長嶋さん。
その前向きな精神は、老若男女問わず多くの人を勇気づけました。
2004年に脳梗塞を患った後、リハビリ中に語った前向きな言葉。
『読売新聞』『サンデー毎日』など複数メディアで紹介され、「奇跡の回復」を支えた精神として話題に。
7. 「私はね、人生そのものが“ホームラン”だったと思っています」
選手・監督としての栄光、苦難、再起、すべてを含めて「幸せだった」と語った長嶋さんの人生観が伝わる言葉です。
晩年、2013年の国民栄誉賞受賞後の囲み取材にて語られた言葉。
同席した松井秀喜氏が「ミスターらしい、すてきな表現」と述べている。
※補足情報
これらの名言は、長嶋茂雄さんの著書『野球は人生そのものだ』(日本経済新聞出版社)や、現役時代・監督時代のエピソード、テレビや新聞・雑誌等のインタビューなどを通じて語られてきたものです。
一部は直接の著書に記載がないものの、関係者の証言や報道により広く知られるようになりました。
言い間違い? いいえ、ミスターにしか言えない“深い言葉”
「ミスタープロ野球」の異名を持つ長嶋茂雄さんは、その独特の語り口でも多くの人の心に刻まれました。
ときに“言い間違い”と受け取られがちな言葉の数々も、よくよく味わえばどれも味わい深く、ユーモアと哲学が共存する唯一無二の名言ばかりです。
「勝負は家に帰って風呂に入るまでわからない」
これは1996年、巨人が優勝マジックを点灯させたシーズン終盤、中日・広島との激戦の最中に語られた言葉。
通常「勝負は下駄を履くまでわからない(=最後まで結果はわからない)」ということわざがありますが、
ミスター流ではより“生活感”と“リアリティ”が増しており、むしろ迫力があると話題に。
「今年の巨人は、まだまだネバーギブアップしません!」
1998年、優勝争いから脱落しかけた終盤戦でのコメント。
一見すると文法的には「ダブルネガティブ(二重否定)」ですが、長嶋さんが放つと、そこにはあくまで「最後まで諦めない」という信念がにじみ出ていました。
むしろ、その“誤りさえ含めた熱意”にこそ、ファンは心を打たれたのです。
「僕にだってデモクラシーがあるんだ!」
新婚時代、亜希子夫人との生活に報道陣が連日殺到していた頃のひと言。
「プライバシー」と言いたかったのだろうと誰もが思いましたが、
「民主主義=個人の権利が尊重される」という本来の意味から見れば、むしろ“正解”とも言える絶妙なニュアンスを帯びた発言でした。
「僕は12年間、漏電していたんです」
1992年、13年ぶりに巨人の監督として復帰が決まった記者会見にて。
本来は「充電していた」と言いたかったはずですが、一部では「“浪人”と“充電”が融合した“浪電”というミスター造語」との解釈も。
コピーライターでも思いつかないようなワードセンスに脱帽です。
その他の“ミスター名珍言”
●「打つと見せかけてヒッティングだ」→ 川相昌弘選手に対する代打指示。
要するに“そのまま打て”ということですが、まるで戦術名のような響きに。
●「インフレが流行っているからな、インフレインフレ」 → 風邪が流行していた時期の選手コメントにて。
おそらく「インフルエンザ」の言い間違いながらも、繰り返すことで妙な説得力が。
●「松井君もね、もう少しオーロラが出てほしい」→ 松井秀喜選手に期待を寄せた発言。
おそらく「オーラ」と言いたかったが、幻想的な光の表現が逆に心に残る比喩に。
「伝えよう」とする力が、記憶に残る
長嶋茂雄さんの言葉は、決して“正しい日本語”であることを目指していたわけではありません。
それでも人々の記憶に焼き付き、今も語り継がれるのは、「どうしても伝えたい」という純粋な情熱と、ミスターの人柄がにじんでいたからに他なりません。
その一言が、私たちを笑顔にし、前を向かせてくれる——そんな“語録”は、これからも永遠に色あせることはないでしょう。
おわりに|“語録”で生き続けるミスターの魂
名言の一つ一つが、まるでバットスイングのように美しく、情熱にあふれた長嶋茂雄さん。
言葉の中には、「記憶に残る選手でありたい」と願ったその生き様が色濃く刻まれています。
これからも、彼の言葉が、野球を愛する人々や、人生に悩む誰かの背中を押し続けてくれることでしょう。